伝説と浪漫の海上ドライブ
丹後の海を満喫できる遊漁船を使った観光コースです。 網野町にある浅茂川漁港を出港し、丹後の海をひとまわり。 『うら嶋船』に乗って、浦島伝説や源義経と静御前伝説を聞きながら海上ドライブを楽しみませんか。
実施時期
5月~9月の海の穏やかな日 ※海の荒れている場合は運行できない場合がございます。
料金
大人1800円/人 子ども900円/人
運行人数
2~7人(1船) 8~14人(2船)
所要時間
約1時間
予約・連絡先
海上ドライブうら嶋船事務所 TEL.090-8886-7617
お問い合わせ
京丹後市観光協会 網野町支部 TEL.0772-72-0900 ※ガイドをご希望の方はお申し出ください。 (ガイド料:5名様まで/2500円・6名様/3000円) ※晴れていても波の高い日は船を出さないことがあります。 安全運航のため、どうぞご理解ください。 パンフレットはこちら ⇒ 伝説と浪漫の海上ドライブ
京丹後七姫伝説
京丹後七姫の紹介
画像をクリックすると、七姫それぞれの紹介ページに移動します。
京丹後七姫ゆかりの地マップ
京丹後七姫にゆかりのある土地や観光スポットをマップにしてあります。 クリックすると、ダウンロードできます。(PDF形式、約1.2MB)
出典・引用
パンフレット『京丹後七姫めぐりマップ』(京丹後市観光振興課)2011 年 2 月 14 日
カテゴリー:京丹後七姫伝説
京丹後七姫伝説~静御前
静御前(しずかごぜん)
~義経への愛を貫いた舞姫~
磯(現在の網野町磯)で禅師の娘として生まれたとされる静御前。父の死後、母とともに京都へ上り白拍子となりました。その後、舞う姿を源義経に見初められ、愛妾となりました。しかし義経は兄・頼朝に追われ、子どもも殺されてしまいます。悲しみにくれ故郷の磯に戻った静御前は、二十余歳の若さでこの世を去りました。
義経への愛を貫いた静の気丈さ。それをはぐくんだ故郷・磯には、静御前をまつる静神社が悲恋の面影を残すかのようにひっそりとたたずんでいます。また、周辺には静の庵跡に建つ静御前生誕の地の碑、義経が船を着けたと言われている入艘の浜と沖の飛び岩があります。
静神社(KTR『網野』より、丹海バス『日吉橋』下車、徒歩約60分)、地図

2011 年 1 月 10 日
カテゴリー:京丹後七姫伝説
ジオパーク巡り②~ジオサイトと歴史・伝統を訪ねる旅
京丹後市内を巡る観光コース。第1弾は、平成22年に『世界ジオパークネットワーク』に加盟した『山陰海岸ジオパーク』の景観を楽しむドライブコース。山・海・温泉に加え、歴史や伝統文化にふれあいながら旅をするルート。
各名所をいっそう楽しめる観光ガイドもご一緒にいかがですか。ご希望の方やお問い合わせは、道の駅・てんきてんき丹後(0772-75-2525)まで。
■所要時間 : 約1時間半(移動時間のみ・経ヶ岬灯台まで)
出発・峰山駅
①郷村断層
②琴引浜
③霧降りの滝
④夕日ヶ浦
⑤静神社・静御前生誕の地
⑥八丁浜
⑦アミティ丹後
⑧遊絲舎
クリックすると拡大できます。
- 出発・峰山駅・地図
- 旧峰山藩の城下町。近くには、峰山藩主の京極氏が讃岐の金比羅神社を勧進した『金刀比羅神社』がある。
- ①郷村断層・地図
- 昭和2(1927)年に近畿北部を襲った地震によって生じた断層が今も残る場所。直線の道路が横ずれによってゆがんでいる様子を確認できる。
- ②琴引浜・地図
踏めばキュッキュと音の鳴る『鳴き砂』の浜。少し西に方へ歩くとドンドンとなる『太鼓浜』もある。砂が湿っているときには、砂が鳴きません。そんな時は近くの『琴引浜鳴き砂文化館』へ。鳴き砂体験に加え、貝殻を使った万華鏡やキャンドル作りの体験も可能(要予約・琴引浜鳴き砂文化館0772-72-5511)
ビーチでの喫煙・ゴミのポイ捨て全面禁止。鳴き砂の海岸維持のため、ご協力を。
- ⑤静神社・静御前生誕の地・地図
- 源義経の愛妾・静御前の生まれた地。
- ⑥八丁浜・地図
長さがおおよそ八丁(町)=約900mある事から名付けられた。大きな湾になっており、子ども連れでも安心して海水浴を楽しむことができる。『八丁浜シーサイドパーク』には遊具もあり、季節を問わず楽しむ事ができる。海水浴シーズン以外は駐車無料。
近くには浅茂川漁港や浦島伝説に由来した『嶋児神社』がある。
日帰り温泉『浅茂川温泉 静の里』に入れば静御前のような美人になれるかも。
- ⑦アミティ丹後
- 丹後地域の地場産品の購入できる店。染色の体験も可能。
- ⑧遊絲舎

藤の蔦を使った『藤布』製品を扱っている。藤織りを用いた簡単な小物作り体験も可能(要予約・0772-72-2677)。
静神社(シズカジンジャ)
京丹後七姫ゆかりの地
静神社(シズカジンジャ)
主祭神は丹後七姫の一人、静御前。生まれたとされている磯という地域の高台に建立されていて海を眺めるにも良い場所です。
所在地 京丹後市網野町磯
アクセス KTR網野駅⇒約6㌔ 車で約20分 地図
京丹後の伝説・民話
2009 年 9 月 28 日
カテゴリー:京丹後の伝説・民話
静御前
磯の善次の娘として生まれた静は6歳で父を亡くし、思い出多い故郷に別れを告げ、母と京都に上りました。 巧みな舞と美しさで静は指折りの白拍子に成長し、寿永元年(1182年)7月、後白河上皇が京の神泉苑で雨乞いの神事を行った時、召されて舞った直後に大雨となり「日本一」のお誉めにあずかりました。
また堺の住吉神社の舞会で平家追討に来ていた源義経に見初められて側室に。 静18歳、義経27歳でした。 義経は平家滅亡後、兄頼朝と不仲になり静を連れて吉野山に逃げましたが、途中雪の中で別れ別れとなり、身重の静は捕らわれて鎌倉に送られました。 文治2年(1186年)4月8日、鶴岡八幡宮で頼朝をはじめ並みいる武士たちの前であざやかに舞ったのは有名です。
『吉野山峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき しづやしづ賤のをだまき くり返し 昔を今になすよしもがな』 と義経を慕って歌ったのが頼朝の怒りにふれ、幽閉されました。 静は7月に男児を生みましたが子は由比ヶ浜に棄てられました。 後に許され、禅尼となった母と懐かしい故郷の磯に帰った静は、生家跡に小さな庵をつくり、義経の無事と愛児の冥福を祈りました。 20余歳の秋の暮れ、静は鳴き弱った虫が消えるように夫と愛児の後を追いました。
悲劇の英雄、源義経が愛した静御前を祀る神社で磯地区のはずれにあります。 かって義経が磯の惣太という船持ちの豪族にあてた手紙が残っていたという記録もあります。 この手紙や多くの遺品は、天明(てんめい)2年(1782年)の大火で神社とともに全て焼失してしまいました。 現在の社(やしろ)は、元のところから西へ200m離れた位置に、静御前の木像とともに祀られています。
静御前を訪ねて源義経(みなもとよしつね)が磯にやってきたとき、船を着けた所が入艘の浜だという伝説が残り、500m沖合の海上に点々と浮かぶ黒岩・赤岩・日照岩(ひでりいわ)などが、凪の日は浮島のように、荒天の時には波を切って泳ぐ水鳥のように見え、まちの景勝地として知られています。2009 年 9 月 27 日
カテゴリー:京丹後の伝説・民話







落差21mの滝。岩に当たる水しぶきが霧になって見える事から名付けられた。夏場には周囲の暑さを忘れてしまうひとときを過ごすことができる。





















