白鳥伝説
垂仁天皇の皇子である誉津別皇子(ほむつわけのみこ)は、なぜか成長しても言葉が話せませんでした。 天皇は残念に思い、とても可愛がっていました。 ある日、大きな白鳥が鳴きながら群れをなして飛んで行きました。 これを見た皇子は初めて何か言いました。 それは「あれは何という鳥か」と言われたように聞こえ、天皇は驚き、大変喜びました。 そこで、天湯河板挙(あまのゆかわたな)という者にこの白鳥を捕まえる役を命じられました。 天湯河板挙は白鳥を追って但馬から松原村(網野町)に来て水之江に綱を張り、日子生命(網野神社の祭神のうち一柱)の御神霊にお祈りし、とうとう白鳥を捕えて天皇に献上しました。 皇子は白鳥を友達のようにして遊び、ついに話すことができるようになりました。 天皇は大喜びされ、天湯河板挙に厚く賞を与え、鳥取造(とっとりのみやつこ) という姓を賜りました。「網野神社明細帳」に、白鳥を捕らえようと網を張った地を以後「網野」といい、白鳥を捕えた地を「鳥取(弥栄町鳥取)」というようになったと記されています。
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引原のごんすけ
木津から網野へ出る道に引原峠があり、昔は大木が茂って昼でも暗い山道でした。 ここに人を化かす古狸がいて「引原ごんすけ」と呼ばれておりました。 お祭りなどの帰りに持っていたごちそうを食い荒らされたり、風呂を浴びていたらそれは小川の水たまりだったなど、そんな事件が村人たちの間でよく聞かれたものでした。 そこで新庄や今井などの村人が狸の悪さを封じるため、石地蔵を建立して僧の読経をいただいたところ、ごんすけは姿を消しました。その後、隣村の塩江の五石の山へ移ったごんすけは、嵐の夜に浜辺のあちらこちらで火を燃やし、沖を通る舟をおびき寄せては難破させ、食糧や積荷を奪ったりしました。 地元の人たちは海上がよく見渡せる峠に大きな石地蔵を建立し、偉いお坊さんを招いて狸封じのお経をいただきました。 その法力によってごんすけはそこにもいられず、但馬の山へと退散してそちらにに棲みつきました。
そんなある日、木こりがたき火をしていると、見知らぬお婆さんがやって来て「ちょいとあたらせてくんさらんか」と言いました。 よく見るとお婆さんの後ろに尾が見えます。 木こりは「さてはこいつだな、近頃うわさの古狸めは」とそこにあった燃えさしの丸太をつかんで打ちたたき、とうとうごんすけを退治してしまいました。 これが「引原ごんすけ」の最期でした。
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