京丹後七姫伝説
京丹後七姫の紹介
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京丹後七姫ゆかりの地マップ
京丹後七姫にゆかりのある土地や観光スポットをマップにしてあります。 クリックすると、ダウンロードできます。(PDF形式、約1.2MB)
出典・引用
パンフレット『京丹後七姫めぐりマップ』(京丹後市観光振興課)2011 年 2 月 14 日
カテゴリー:京丹後七姫伝説
京丹後七姫伝説~細川ガラシャ
細川ガラシャ(ほそかわがらしゃ)
~日本初の女性キリシタン~
明智光秀の三女としてうまれた玉子(後のガラシャ)は丹後田辺城(現舞鶴市)の細川忠興に嫁ぎました。父が織田信長を討った本能寺の変の後、玉子は味土野(みどの、現在の弥栄町味土野)に幽閉されました。幽閉中、侍女の一人からキリスト教の話を聞き、信仰に救いを求めるようになります。やがて洗礼を受け「ガラシャ」という名を授かりました。
細川ガラシャ夫人の碑(KTR『峰山』より、丹海バス『弥栄病院前』か『黒部』で乗り換え『須川』下車、徒歩約90分)、地図 ※黒部~須川間は、土日祝は予約運行(予約番号・0772-65-3000)が必要。 ※車の場合は、須川集落から奥はバス通行不能。普通車・マイクロバスは離合困難だが通行可能。

2011 年 1 月 10 日
カテゴリー:京丹後七姫伝説
京丹後の歴史を訪ねて①『細川ガラシャ』(弥栄町味土野)
細川ガラシャは、明智光秀の三女で、細川忠興の正室になった女性です。
キリスト教弾圧の厳しかった時代に、キリスト教の教えに傾倒し、洗礼を受けます。それがガラシャという名前です。
今回は、その細川ガラシャにゆかりのある地を訪ねます。
KTRの峰山駅から、旅を始めます。移動には自動車(タクシー)を使われるのがいいでしょう。
峰山は、古くは一色氏によって治められ、戦国時代に織田家配下の細川氏によって平定されました。
江戸時代初期に丹後国・峰山藩として京極氏によって治められるようになりました。以降、明治4年(1871 年)の廃藩置県に至るまで、1万3000石の大名として2代にわたり若年寄を輩出した名家の一つとして栄えました。
峰山城は現在では存在せず、城跡のみが残っています。
峰山町には、金刀比羅神社があります。金刀比羅神社は、四国の金比羅宮に信仰の篤かった京極氏によって建てられました。
春夏秋には御輿や山車が繰り出すお祭りが行われています。
また、毎月第三日曜日には『こんぴら手作り市』が開催されています。
境内には、狛犬ならぬ『狛猫』がいます。少し愛嬌のある顔をしています。
国道482号線を丹後町方面へ北に向かいます。 しばらく進むと、スイス村への誘導路があります。それに従いしばらく進んで下さい。 府道654号線→75号線と山の中を進んでいきます。
野間集落まで来ると、分岐があるので『味土野』と書かれている方へ進みます。
(写真の交差点を右へ進みます。)
更に進むと、須川集落の手前に橋があります(黄色いのぼりが立っています)ので、左に曲がって渡って下さい。
須川の集落を抜けるとの山道が続きます。
途中、道が分岐します。直進方向(狭い方の道)へ進んで下さい。
だんだんと秘境の雰囲気が漂ってきます。
離合困難なので、譲り合って注意して進んで下さい。
味土野の集落を抜けた外れに、細川ガラシャの碑がひっそりと建っています。
味土野の地は、山に囲まれた斜面に張り付くように民家が軒を連ねています。
聞こえるのは、風に揺られる木々の音と鳥の声だけ。
周りには、桔梗の花が咲いていました。桔梗は細川ガラシャの生家である明智家の家紋です。
この地は、細川ガラシャが幽閉された際に、侍女とともに過ごした邸宅があった通称女山。谷を隔てた向かいの山に、家来が住んでいた男山(現在の集落のあるあたり)と言われています。
家村耕の小説『光秀奔る』では、次女達の住まう家が雪で埋まり、春になるまで外に出る事ができなかったというエピソードも描かれています。フィクションなのでどこまで本当かは分かりませんが、それほどたくさんの雪が降る場所だったという事でしょう。
ついでに少し足を伸ばし、味土野大滝へ。 落差約20mの壮大な滝ですが、谷底まで降りるには、道が整備されていないので少し危険です。
峰山町には、金刀比羅神社があります。金刀比羅神社は、四国の金比羅宮に信仰の篤かった京極氏によって建てられました。
春夏秋には御輿や山車が繰り出すお祭りが行われています。
また、毎月第三日曜日には『こんぴら手作り市』が開催されています。
境内には、狛犬ならぬ『狛猫』がいます。少し愛嬌のある顔をしています。国道482号線を丹後町方面へ北に向かいます。 しばらく進むと、スイス村への誘導路があります。それに従いしばらく進んで下さい。 府道654号線→75号線と山の中を進んでいきます。
野間集落まで来ると、分岐があるので『味土野』と書かれている方へ進みます。
(写真の交差点を右へ進みます。)
更に進むと、須川集落の手前に橋があります(黄色いのぼりが立っています)ので、左に曲がって渡って下さい。
須川の集落を抜けるとの山道が続きます。
途中、道が分岐します。直進方向(狭い方の道)へ進んで下さい。
だんだんと秘境の雰囲気が漂ってきます。
離合困難なので、譲り合って注意して進んで下さい。
味土野の集落を抜けた外れに、細川ガラシャの碑がひっそりと建っています。
味土野の地は、山に囲まれた斜面に張り付くように民家が軒を連ねています。
聞こえるのは、風に揺られる木々の音と鳥の声だけ。
周りには、桔梗の花が咲いていました。桔梗は細川ガラシャの生家である明智家の家紋です。
この地は、細川ガラシャが幽閉された際に、侍女とともに過ごした邸宅があった通称女山。谷を隔てた向かいの山に、家来が住んでいた男山(現在の集落のあるあたり)と言われています。
家村耕の小説『光秀奔る』では、次女達の住まう家が雪で埋まり、春になるまで外に出る事ができなかったというエピソードも描かれています。フィクションなのでどこまで本当かは分かりませんが、それほどたくさんの雪が降る場所だったという事でしょう。ついでに少し足を伸ばし、味土野大滝へ。 落差約20mの壮大な滝ですが、谷底まで降りるには、道が整備されていないので少し危険です。
2010 年 9 月 24 日
カテゴリー:きょうたんごの観光資源 史跡 弥栄町 歴史スポット
味土野大滝
2009 年 10 月 30 日
カテゴリー:弥栄町の景勝地
琴引浜物語
歴史的に古くから鳴き砂の浜として知られ、戦国時代の武将で丹後田辺城主であった細川幽斎や、その息子忠興の妻細川ガラシャが琴引浜や太鼓浜を和歌に詠んでいます。 また、江戸時代の地誌として有名な木内石亭著の『雲根誌』にも書かれています。 この他にも丹後の江戸時代の地誌『丹哥府誌』などにも記録があり、このように文献上にその名が記載されているのは大変珍しいことです。 琴引浜の地名は、「琴弾浜」や「琴曳浜」などとも書かれ、鳴き砂の音を琴の音にたとえて聞いたところから名付けられました。
2009 年 9 月 27 日
カテゴリー:京丹後の伝説・民話



















