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伝説と浪漫の海上ドライブ

丹後の海を満喫できる遊漁船を使った観光コースです。 網野町にある浅茂川漁港を出港し、丹後の海をひとまわり。 『うら嶋船』に乗って、浦島伝説や源義経と静御前伝説を聞きながら海上ドライブを楽しみませんか。

実施時期

5月~9月の海の穏やかな日 ※海の荒れている場合は運行できない場合がございます。

料金

大人1800円/人 子ども900円/人

運行人数

2~7人(1船) 8~14人(2船)

所要時間

約1時間

予約・連絡先

海上ドライブうら嶋船事務所 TEL.090-8886-7617

お問い合わせ

京丹後市観光協会 網野町支部 TEL.0772-72-0900 ※ガイドをご希望の方はお申し出ください。 (ガイド料:5名様まで/2500円・6名様/3000円) ※晴れていても波の高い日は船を出さないことがあります。 安全運航のため、どうぞご理解ください。 パンフレットはこちら ⇒ 伝説と浪漫の海上ドライブ

2011 年 6 月 29 日

カテゴリー:ジオパーク 京丹後観光コース

京丹後七姫伝説~静御前

静御前(しずかごぜん)

~義経への愛を貫いた舞姫~

 磯(現在の網野町磯)で禅師の娘として生まれたとされる静御前。父の死後、母とともに京都へ上り白拍子となりました。その後、舞う姿を源義経に見初められ、愛妾となりました。しかし義経は兄・頼朝に追われ、子どもも殺されてしまいます。悲しみにくれ故郷の磯に戻った静御前は、二十余歳の若さでこの世を去りました。

 義経への愛を貫いた静の気丈さ。それをはぐくんだ故郷・磯には、静御前をまつる静神社が悲恋の面影を残すかのようにひっそりとたたずんでいます。また、周辺には静の庵跡に建つ静御前生誕の地の碑、義経が船を着けたと言われている入艘の浜と沖の飛び岩があります。


静神社(KTR『網野』より、丹海バス『日吉橋』下車、徒歩約60分)、地図

2011 年 1 月 10 日

カテゴリー:京丹後七姫伝説

静御前

京丹後の伝説・民話 静御前磯の善次の娘として生まれた静は6歳で父を亡くし、思い出多い故郷に別れを告げ、母と京都に上りました。 巧みな舞と美しさで静は指折りの白拍子に成長し、寿永元年(1182年)7月、後白河上皇が京の神泉苑で雨乞いの神事を行った時、召されて舞った直後に大雨となり「日本一」のお誉めにあずかりました。 また堺の住吉神社の舞会で平家追討に来ていた源義経に見初められて側室に。 静18歳、義経27歳でした。 義経は平家滅亡後、兄頼朝と不仲になり静を連れて吉野山に逃げましたが、途中雪の中で別れ別れとなり、身重の静は捕らわれて鎌倉に送られました。 文治2年(1186年)4月8日、鶴岡八幡宮で頼朝をはじめ並みいる武士たちの前であざやかに舞ったのは有名です。 『吉野山峰の白雪ふみわけて 入りにし人の跡ぞ恋しき しづやしづ賤のをだまき くり返し 昔を今になすよしもがな』 と義経を慕って歌ったのが頼朝の怒りにふれ、幽閉されました。 静は7月に男児を生みましたが子は由比ヶ浜に棄てられました。 後に許され、禅尼となった母と懐かしい故郷の磯に帰った静は、生家跡に小さな庵をつくり、義経の無事と愛児の冥福を祈りました。 20余歳の秋の暮れ、静は鳴き弱った虫が消えるように夫と愛児の後を追いました。

静御前

静御前社(やしろ)悲劇の英雄、源義経が愛した静御前を祀る神社で磯地区のはずれにあります。 かって義経が磯の惣太という船持ちの豪族にあてた手紙が残っていたという記録もあります。 この手紙や多くの遺品は、天明(てんめい)2年(1782年)の大火で神社とともに全て焼失してしまいました。 現在の社(やしろ)は、元のところから西へ200m離れた位置に、静御前の木像とともに祀られています。
入艘の浜静御前を訪ねて源義経(みなもとよしつね)が磯にやってきたとき、船を着けた所が入艘の浜だという伝説が残り、500m沖合の海上に点々と浮かぶ黒岩・赤岩・日照岩(ひでりいわ)などが、凪の日は浮島のように、荒天の時には波を切って泳ぐ水鳥のように見え、まちの景勝地として知られています。

2009 年 9 月 27 日

カテゴリー:京丹後の伝説・民話