丹後の歴史を巡る旅①~古代ロマン・神代の旅~
丹後半島は古代から脈々と歴史の続く土地です。 丹後半島の歴史を訪ねる旅。今回は古代の遺構・遺跡を巡ります。
各名所をいっそう楽しめる観光ガイドもご一緒にいかがですか。ご希望の方やお問い合わせは、道の駅・てんきてんき丹後(0772-75-2525)まで。
■総距離 : 約30km(移動のみ) ■所要時間 : 約1時間強(移動のみ)
出発・久美浜駅
①神谷太刀宮
②嶋子神社
③銚子山古墳・しわ榎
④道の駅・てんきてんき丹後
⑤竹野神社・神明山古墳・丹後古代の里資料館
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- 出発・久美浜駅・地図
- 明治維新後の廃藩置県の際に、近隣五国の中心として設置された久美浜県の旧庁舎をモチーフにした駅舎。毎週日曜日には、地元産の野菜や手作りの総菜などを売る朝市が開かれる。
- ①神谷太刀宮・地図
丹後平定を命じられた四道将軍・丹波道主命が出雲より大国主命をお招きして祀った神谷神社。その丹波道主命の神魂として『国見剣』を祀った太刀宮。この二つが合祀されて現在の名前に至る。 『国見剣(くにみにつるぎ)』の『国見』が訛って『久美』となり、『久美浜』の語源になったと言われている。霊験灼かなパワースポット。 毎年10月上旬には、神谷太刀宮大祭が行われる。
境内には。旧久美浜県の庁舎の一部が移築されしている。
- ②嶋子神社・地図
『丹後風土記』に伝えられる浦島伝説。水江浦嶋子(みずのえのうらしまのこ)を祀った神社。神社から少し進んだ所には嶋子が釣った魚を放したと言われる岩場がある。
近くには、竜宮城をモチーフにした宿『万助楼』がある。
- ③銚子山古墳・しわ榎・地図
日本海岸最大級の前方後円墳。かつて丹後地域に大きな勢力があったのではという『丹後王国説』を裏付ける遺跡。円墳部と方墳部の境近くに嶋子が生まれたと言われる家がある。家の脇には、嶋子が顔のしわを投げつけたと言われる『しわ榎』がある。
古墳への登り口が少々分かりづらいので、注意が必要。周辺地図を参考にして下さい。
- ④道の駅・てんきてんき丹後・地図
トイレや土産物店、レストランもあり、休憩にはちょうど良い施設。ジオパークのパネル展示コーナーや観光案内の窓口もある。
お問い合わせは0772-75-2525。
- ⑤竹野神社・神明山古墳・丹後古代の里資料館・地図
神明山古墳は竹野川の河口を見下ろす丘の上に築かれた前方後円墳。五世紀頃に作られた豪族の墓と言われている。全長190mは銚子山古墳に匹敵する規模であり『丹後王国説』を裏付ける遺構として位置づけられている。
竹野神社は『古事記』によると、開化天皇(紀元前208年~同98年)に仕えた丹波大県主由碁理の娘・竹野媛が晩年に郷里に帰り、天照皇大神を祀ったのが謂われ。室町以後、武家の信仰も篤く、航海安全の神としても祀られた。摂社として斎宮神社がある。毎年第三日曜日には『斎宮初午祭』が行われる。
丹後古代の里資料館は縄文時代から古墳時代にかけての出土品や歴史にまつわる品々が展示されています。開館時間は9:30~16:00(火曜休、火曜が祝日の場合は水曜休)お問い合わせは0772-75-2431まで。
- ちょっと足をのばして
峰山町五箇にある『比沼麻奈為神社』は、現在では伊勢神宮外宮に御鎮座されている『豊受大神』が元に御鎮座された元伊勢と言われている。場所はこちら。 ※ちなみに丹後地域には、他にも元伊勢神社を名乗る神社がある。籠神社(宮津市)、元伊勢三社(福知山市大江町、皇大神社、豊受大神社、天岩戸神社)の三社である。
2011 年 2 月 17 日
カテゴリー:きょうたんごの観光資源 京丹後観光コース
京丹後七姫伝説~乙姫
乙姫(おとひめ)
~龍宮の姫~
網野町は、「丹後国風土記」に伝えられる浦島太郎伝説の地です。浦島太郎は後世につけられた名前で、風土記では水江浦嶋子(みずのえのうらしまこ)となっており、この嶋子をまつる神社が網野町浅茂川の海岸に鎮座する嶋児神社です。また、嶋児神社から左遠方に見える福島は、浦島太郎と乙姫がはじめて出会った場所といわれ、ここには乙姫をまつる福島神社があります。
嶋子が釣った魚を放していたとされる潮溜まり「釣溜」や、嶋子が投げつけた顔のしわが樹皮にはりついたとされる「しわ榎」もこの近くにあります。
嶋児神社(KTR『網野』より、丹海バス『日吉橋』下車、徒歩約数分)、地図

2011 年 1 月 10 日
カテゴリー:京丹後七姫伝説
浦嶋伝説
昔、銚子山古墳の地続きに日下部氏の屋敷がありました。 日下部曽却善次夫婦には子どもがなく、子宝に恵まれたいと百日祈願をしていました。 満願の夜、夫婦は不思議に同じ夢を見ました。 神から「ふたりの願いを聞き届けよう。明朝、福島へ来い」とのお告げです。 翌朝、出かけると赤子が置かれており、夫婦は「嶋子」と名付け大切に育てました。
釣り好きの若者に成長した嶋子は、澄の江での漁の時は釣った魚を一旦磯の「釣溜(つんだめ)」にビクのまま浸けておいたといいます。 ある日、嶋子は福島で大変美しい娘に出会いました。 乙姫様でした。 ふたりは夫婦の約束をし、小舟で竜宮城へ行きました。 手厚いもてなしを受け3年の月日が経ちました。 嶋子は故郷が恋しくなり、帰ることになりました。 乙姫様が「お別れに手箱を差し上げます。 再びお出でくださるお気持ちがあるなら、決して中をお開けなさいますな」と美しい玉くしげ(玉手箱)を渡しました。 嶋子は懐かしい万畳浜へ帰って来ました。 ところが屋敷に着いてみると雑草が茂って一面の荒野原に…。 竜宮城での1年は、人間界の何十年にもなっていたのです。 嶋子は悲しみ、途方にくれました。 その時、玉くしげのことを思い出し、これで数百年の昔に戻れるのではと箱の蓋を開けました。 すると中から白い煙りが立ち上り、嶋子はしわだらけのお爺さんに。 驚いた嶋子は思わず自分の頬のしわをちぎって榎に投げつけました。
その後、嶋子がどうなったかはわかりません。 ただ、しわを投げつけたという一本榎は「しわ榎」といわれ、今も日本海を渡って来る浜風に枝葉をゆるがせて立っています。
網野町は「丹後国風土記(ふどき)」に伝えられる浦島太郎伝説の地でもあります。 浦島太郎は、後世につたえられた名前で、風土記では水江浦嶋子(みずのえのうらしまのこ)となっており、この嶋子を祀る神社が浅茂川の海岸に鎮座する嶋児神社です。
浅茂川地区には随所に浦島太郎ゆかりの地があることから、「浦嶋太鼓」と名付けられ、水無月祭で海上安全と大漁を祈願して、太鼓をたたいたといわれています。 浦嶋太鼓は、現在も地区の有志により受け継がれています。
嶋児神社から右手に築かれた防波堤の先端の岩場に自然の岩で囲まれた潮溜(しおだま)りがあり、浦島太郎(浦嶋子)が釣った魚をここに放しておいたと伝えられています。
銚子山古墳の前方部付近にある榎の大木。 竜宮から帰った浦島太郎(浦嶋子)が、ここで玉くしげ(玉手箱)を開けて顔じゅうしわだらけになり、悲しみのあまりしわをちぎって投げつけると、樹皮がしわで凹凸になったと伝えられています。2009 年 9 月 27 日
カテゴリー:京丹後の伝説・民話











